広瀬武の履歴書(1)ルーツ、出生

先日、35歳になった。

実は8月頭にコロナ感染が発覚、重症化し先週まで入院していた。まさか自分がコロナにかかるとは思っていなかったし、30代基礎疾患無しの自分が重症化するなんて夢にも思っていなかった。

39.7度まで上がった高熱は一時的に下がってもすぐに戻り、咳は止まらず、血中酸素量はみるみるうちに下がり、パルスオキシメーターの危険アラームが鳴り響くのを遠のく意識の中で聞いていた。

今回のコロナの経験で初めて分かったことは、「人体は思ったよりも弱く簡単に死んでしまう」ということ。両親や祖母の死を若いうちから経験している自分は知っているつもりだったが、いざ自分自身が死の淵を彷徨ってみて改めて気づかされた。何かの拍子で、人は簡単に死んでしまうのだと。

いや本当にそうなのだとしたら、ある日突然死んでしまったら、僕の人生の目標である日本経済新聞の「私の履歴書」が書けないではないか、という漠然とした不安が病院のベッドの上で湧いてきた。であれば、退院したらとりあえず下書きを書いておこうと思い、このブログに至る。

僕は、母が里帰り出産だったため茨城県水海道市という場所で生まれた。ただ、婦人服のバイヤーの仕事で転勤族だった父の転勤に都度ついて回っていたため、生まれてすぐに茨城から新潟、長野、茅ヶ崎と転々とし、父の実家を建て替えて3世帯住宅を建てることになり、父の実家である立川に引越してからは以後20年近く立川で過ごした。だから生まれは茨城、育ちは立川。

では、立川が広瀬家代々の地なのか?と言われると、これがそうでもない。広瀬家代々の墓は世田谷区桜丘の久成院という寺院にある。ちなみに、僕の祖母が「広瀬」で祖父の旧姓は「木内」。一人娘の家に婿が来たのだ。で、更にややこしいのが、祖母の両親、即ち僕の曽祖父が「広瀬」で曽祖母の旧姓は「小川」なのだが、世田谷は「小川」の地であり、新潟から出てきた曽祖父も婿。名字を変えず小川家の他の人達と一緒に住んでいたようなので、隣町は桜新町ということもあり、さながらリアルマスオさんといったところか。

曽祖父は若い頃神主をやっていて、割と裕福な家であった小川家のお抱え神主として家に入ったそうだ。

つまり、正直なところ「広瀬家」のルーツは誰もよく分からず、ルーツを辿れるのは「小川家」。僕自身も広瀬さんでありながら小川家の人間だという自認が小さい頃からあり、自分の結婚式にも小川家の親戚を呼んだ。逆に、広瀬家の親戚はそもそも1人も知らない。

ちなみにお墓がある久成院は、周りに寺院が無かったため江戸時代中期に小川家を含む近くの4つの家がお金を出し合い建立したそうな。たしかに墓地を見渡すと同じ苗字の墓石ばかりで小さい頃は不思議に思っていた。プライベート寺院を作るとは、なかなか信仰心が篤い。中央が曽祖母(たぶん)↓

そんな経緯もあり、うちのお墓(正確に言えば小川家代々のお墓なのだが)は異様に古く、区画がデカい。最近の区割りのお墓であれば9基は入ると業者から言われた。そんなお墓をご先祖様がせっかく残してくださったのに、曽祖母、祖母、父の前3代はお墓にあまり興味が無かったのか、うちの区画は綺麗に砂利も敷かずに土がむき出し、草は生い茂った状態が何十年も続いた。誰がどう見ても、あそこの区画はヤバい、そんなお墓が大人になるにつれ結構気がかりになっていた。

そしていよいよ問題が勃発し、僕の母、父の次に祖母が亡くなった際に骨壺がもう墓石の下のカロートに入らなくなってしまった。仕方がないので、とりあえず墓石の横の土の下に骨壺を埋めたのだが、これだとふと忘れた時に骨壺の上の地面を踏んでしまう。これはさすがに罰が当たるなと思い、一念発起し昨年2020年に大規模なお墓リフォームを実施した。家紋に金箔を付けちゃったりして外構工事だけで300万円以上。出費は正直痛いが心は晴れやかだ。

昔は1代の当主に1基の墓石をここに置いたと仮定するならば、かなり昔のものが10基あり、直近まで使っていた墓石1基に僕の前3代が眠っているので、僕の代で第14代になる。お酒みたいで美味しそう。尚、一番古いものがどの墓石かは風化して文字が読めないのではっきりしないのだが、「享保」と書かれているものがある。享保の年代に亡くなった人の墓石があるということは、やはり江戸時代中期の当主が寺院自体を建立したという話も本当なのだろう。たしかに江戸時代からここにあったのだと思うと、ロマンを感じる。

と、ここまでが世田谷で、東京大空襲の際の疎開先で立川にやってきたそうだ。立川では日本政府から住居を割り振られ、そして有難いことに終戦後そのまま国から土地をもらったとか。

そんなこんなで立川に移り住み、祖母の幼少期からはずっと立川暮らし。昔は家族経営で蕎麦屋さんをやっていた時期もあったそうだ。祖父は自衛隊から転職し太陽神戸銀行に、祖母は立川競輪場一筋で働きあの頃の女性の社会進出状況から考えるとかなりの出世を遂げて、60前に早期退職した。父は先述の通り婦人服のバイヤーの仕事をする傍ら、サーフィンに目が無く1年中海に入っているような人だった。

このような家族構成のため、3世帯住宅の新居に引っ越してからはバリバリ働く人間が家の中に3人いたので、バブル景気も相まって僕が一人っ子の頃はかなり恵まれていたと思う。

続く

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